01
「か……か……罹かっちまった……。」
午前七時。起床と同時に感じる違和感。それは手足の確認によって確信に変わる。テレビや新聞で幾度となく聞いたその症状が自分にも起きている現実に衝撃と困惑、そして大きな不安に襲われた。
「まずは……病院か。」
今日の会社は間違いなく欠席。この病気が流行りだしてからというもの、症状が出た初日は欠席になることが決まっていた。一時間後くらいには受付が開いているはずなので連絡を入れなければ。それまでまずは……この身体に慣れなければならん。
――――――
「お電話ありがとうございます。株式会社センダコンサルティングでございます。」
電話を掛けると、ハキハキとした声が返ってくる。この声は佐々木さんかな。
「あ、おはようございます。法人営業部の南でございます。」
「いつもお世話になっております。南課長の娘様でいらっしゃいますか。」
うむ、違う。と言ってもこれは避けられない事象だろう。
「あ、いえ、南裕貴本人です。」
「えっ……。じゃあその声……課長もしかして……。」
声を聞けばすぐに気付かれるだろう。最初から隠すつもりも毛頭ない。
「ああ、どうやら私も誰かにうつされたようでね。悪いが今日は病院に行くので一日……」
「めっちゃくちゃ可愛いじゃないですか!今日病院終わったら一回会社来てその姿拝ませてくだ」
用件は済んだので電話を切る。佐々木さんは悪い子ではないが少々癖がある。流石に今朝起こった出来事を冷静に受け止める間もなく会社でこの姿を晒すのは気が引けるしその程度の事くらいは察してもらわねば。
それより連絡だ。一応佐々木さんには伝えたがこのまましっかり伝わっているか不安だ。あまりやりたくはなかったが携帯から直接自分の上司である山下部長の電話番号を選択し、架電した。
「お留守番サービスに接続します。」
返ってきたのは機械音だけであった。後ほど連絡を入れることにして、次は病院に予約を入れることにしよう。あまり熱心に報道を見てこなかったので何科にかかればいいのか分からないが……。
――――――
『さて、次のニュースです。また全国各地で大きく感染者が増加しています。』
病院への予約を入れた後につけたテレビからはほぼ毎日見ていた―――そして自分とは無縁だと思っていた―――ある病気の報道が今日も流れていた。
『二ヶ月前から観測され始めました。主に40代から60代の男性に発症すると言われているこの病に対し、国立感染症研究所によって昨日正式に名称が付けられました。』
名前ねぇ……。どうでもいいからさっさと治療法を確立して欲しいものだ。
『美少女症候群』
テロップと共に複雑そうな顔をしたキャスターがその名を口にする。私の心持ちのせいか薄く笑っているような気がして不快だ。
『症状としては容姿声帯、生殖器、分泌ホルモンに至る身体的特徴が全て12歳から16歳までの女性になるだけということですが、これは感染症と言っても良いのでしょうか。専門家の方にお話を伺います。』
そこからは前も聞いた話を繰り返され、肝心の治療法の話に関しては現在世界各国の医療機関及び財団によって研究が進められているという趣旨のものだった。
美少女症候群とは何か。主な症状としてはさっきの報道と同じ通りである。生活全般が困難になることは間違いないのではあるが、現在のところ感染者が1000人を突破したものの一人として死者が出ておらず、少女になる以外の症状が表れない。。つまり本当に少女になるというだけで直接的に人類の滅亡には繋がらない。無論男性が女性になるわけだから将来の話を加味すればそういうわけにもいかないのだが。
そしてもう一つの特徴。それは少女になったところで思考や習慣、価値観といったものには一切影響を与えない。
「厄介ではあるが治るまでの我慢というわけか……。」
しかしこれも立派な感染症だ。病院に予約を入れたところ隔離措置をとった上で病院への搬送をすると言われたから多少驚いた。関係者が着くまで家から出るなということである。
大体どうやって感染したというのか……。
そんなことを考えているとインターホンが鳴った。
「はい、南ですが。」
「西本病院の者です。お加減はいかがですか?」
「健康そのものです。お話しした症状が出てはいますが。」
「了解しました。玄関の鍵を開けてもらってもよろしいですか?」
「はい。」
症状に気付いて二時間ほどが経過したが、まだ自分の少女独特の高い声には慣れていない。
玄関を開けて待っていると、防護服に身を包んだ医療従事者がやって来た。こういう姿を見ると、自分が大変な病にかかってしまったのではないかと不安感が増幅する。
「そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫ですよ。念の為の措置ですから。」
そういえば何かのドラマで見たが、安心だというのならその防護服を脱げと迫る患者の姿があったな。今同じことを言いたい気分だ。いやそんなことより気になることがある。
「私、今そんなに不安そうな顔してましたか?」
「それはもう。この世の終りのような顔してましたよ。」
私はあまり表情が読めないと言われる。そう言われているので合わせてポーカーフェイスを自称しているが、実はこれでも感情は表に出している方だと思っていたが―――。
初めて人から表情が読まれた。これも症状の一つだと言うのか……。
救急車に乗せられて揺れながら思う。一体何故このような病気が流行っているのか。ウイルス性だとしたらこのウイルスの目的は一体何か。そしてこれから私はどうすれば良いのか……。
――――――
「美少女症候群で間違い無いでしょうね。」
ガスマスクのような防護を顔面に施した医師がそう言った。感染経路が確立していない今の状況では、この症状を起こした人間に接する時はこうして応急処置的な対処をされる。別に医者が少女になっても構わんだろうに。
「それで、私はどうすれば良いんでしょうか…。」
「自宅で安静にして…と言いたいところではあるのですが貴方は確か会社員でしたね。お仕事もあるので別に会社に行って頂いても構いませんよ。」
そう言われたので少し拍子抜けする。
「感染する可能性があるのではないんですか?良いんですか?行っても。」
「ええ、まだ報道されていませんがこの病、患者からは感染しないようです。新たに感染する患者は既に症状が出ている人とは一切関わりなく発生しているようなので。」
何ということか。これまで女子高生くらいの少女を見つけては意図的に避けてきた努力は水泡に帰したという訳か。
「分かりました。薬とかは?」
「これから先必要になるようでしたらお出しします。が、基本的な薬局ではこの病に対する特効薬は見つからないでしょう。個人的に知っている”ヤブ薬剤師゛ならどうにかするかもしれませんが……。いや忘れてください。」
少し不思議なことを言い残して医者は診察を終えた。なんだろうかヤブ薬剤師って……。
診察を終えて待合室で支払いを待っていると、可愛らしい声で自分を呼びかける声が聞こえた。
「南くん!?南くんじゃないか!!」
声の主の方を向くと、どこかの学校の制服を着たそれはそれは可愛らしい少女が佇んでいた。しかしその顔は、かなり美化され完璧な美少女と言っても過言ではないくらい整っていても、面影を残してはいたのだ。
山下法人営業部長だ。確か御年52歳になる。私より一回り上であったはずだ。それが今では16、7歳ほどの歳になっている。
「部長!!」
私は思わず駆け寄る。紛れもない。見間違うはずがない。恐らく部長もそう確信して私に声をかけたのであろう。
「ああ何ということだ南くん…。こんなに可愛くなって……。」
「お言葉ですが部長…。今の部長に仰られても全く説得力がありません。」
「い、いやこの制服は私の趣味ではないぞ!症状が出たところを家族に見られてしまってな。面白がった娘に中学時代の制服を着せられてしまったのだよ。まぁ確かにいつものスーツよりこちらの方が年代にふさわしいとは思うが……。それにしても今や自分の娘よりも若い女性になってしまうとは……。」
「心中お察しいたします。しかし先ほど診察を受けた時に医者が妙なことを言っていまして。」
「どんなだ。」
ずいと部長が顔を近付いけてくる。部長だと分かっていながらも刺激的なこの情景で照れてしまい、思わず顔を赤らめてしまうのも、中身が男だという事情を考慮していただきたい。
「え、ええその……。どうやら、この件について詳しい薬剤師がいるかもしれないとのことです。」
「本当か!!」
「ええ、確実に治すというようなことは言っていませんでしたが。」
「捕まえられそうか。」
「やれるだけのことはやってみます。このままでは私も仕事がし辛いですし。」
「よし、この一件は任せたぞ南くん。私は来週のプレゼンの用意で……。」
そこまで言った部長の顔が青ざめた。
「どうしよう…。この姿で取引先にプレゼンを行うというのか…!!」
恐らくかなりシリアスな表情をしているのだろうが見た目が全てを台無しにしている。
「気を落とさないで下さい部長。私も同席して事情を説明いたしますので。」
「た、頼めるか?」
もはや涙目になっている少女(部長)。
「私はあなたの部下です。何なりとお申し付けください。やるべきことはしっかりとやりますので。」
「南くん!!私は君のような部下を持てて幸せだよ!!」
ひし!という擬態語が聞こえん勢いで抱きしめられる。
「ちょっ!部長!!話してください!!周りの目が!目が!!」
私の声は感無量の部長には届かない。これでは傍目からは女子学生同士が抱き合うように見えることだろう。流石に恥ずかしい。
「お、落ち着いてください!そして安心してください!!」
ぐいと押しやって、部長の目を見ながら改めて言う。
「とにかく、プレゼンと同時に件の薬剤師の情報を集める。その為にも早いうちに手を打っておくことが必要です。」
「どうするつもりかね。」
「これから、午後から出社します。」
私は意を決してそう言った。診察が始まる前から決めていたことだ。この状況で本日休んだところで問題は先送りになるばかりだ。むしろ一日という間を空けることによって明日余計に周りに衝撃を与えてしまうことだろう。傷は浅いうちに処置するべきだ。が、部長はあまり賛意ではないようだった。
「南くんしかし……。」
「何です?」
「いくらなんでも心の準備が……。」
「気にしている場合ではないでしょう!プレゼンへのタイムリミットは今この瞬間にも迫っているんですよ!」
「分かってはいるのだが…。誰かに任せられんか……。」
どこまでも自分の今の容姿を見られたくない部長は食い下がる。が、私も必死だ。今動かないでどうする。
「部長……。失礼をお許しください。」
そう言うと私は部長の、16歳ほどの軽い身体を持ち上げた。お姫様抱っこの形になる。
「ちょっっ!!南くんやめたまえ!!おろして!」
そうは仰るが下ろせば逃げるだろう。このまま会社まで向かう。
「勘弁被りたいものだな……。」
思わずそう呟き、同時にこのピンチにどう立ち向かうかを思案する。腕の中の部長の抵抗の声は無視だ。会社に着くまで下ろすつもりはない。
突如わが身に降り注いだ不幸。しかし希望は見えている。来週、いや、まずは本日どうやって無事に過ごすか…。走りながら私はそのことばかりが頭に浮かんでいた。
第一話 完